おにぎりだもの

人生100年時代を自分勝手に楽しく生き抜くための雑記ブログです。

わたしが子供を産まないと決めたときのこと

女性なら子供を産んであたりまえとおもっていた

 

「女性」=「産む性」であることが、ずっと当然だと思って生きてきた。女の子は小学生くらいでもう「自分が子供産むなら、男の子と女の子どっちがいいか」なんて考えていたりする。わたしもそうだった。

 

高校生・大学生になってくると、自分の体験を「自分の子供に体験させたい/させたくない」なんて想像するようになってくる。将来子供を産むのだから、そのために最適な選択をしないといけない。いつも「想像上の子供」が自分の頭のどこかにいる。

 

就職・転職のときも、産休、育休が取りやすいか、職場復帰がしやすい環境か、マミートラックに落とされてその後の出世に影響しないか、人づてに確認したり、ネットでググりまくった上で会社を決めた。当時彼氏すらいなかったのにだ。

 

30も過ぎると出産のリミットを意識するようになる。芸能人の出産ニュースを見ると、女性の年齢を確認して自分より年上ならホッとする。わたしもまだ産めるんだって。

 

女友達から「家族が増えました!」ってメールがきたり、赤ちゃんの笑顔がプリントされた年賀状が来たりするたびに、おめでとう!かわいいね!って返しながらどうしようもなく焦りを感じる。自分には何かが欠落していると思った。それを埋めるために追い立てられていた。

 

卵巣膿腫になった

そんな毎日を過ごしているうちに、わたしの卵巣には膿腫ができていることがわかった。卵巣を片方切除するしかないといわれた。セカンドオピニオンを求めた病院でも同じだった。

 

手術の日。お医者さんは、わたしの顔を覗き込んで「卵巣が片方なくなっても赤ちゃん産めるから大丈夫だよ」と優しく言ってくれた。わたしは泣きだした。麻酔がすぐに効いてきた。わたしはお医者さんに返事をすることができなかった。

 

検査の結果、卵巣に出来ていた腫瘍は境界悪性だった。要するに癌でしたって話だ。向こう5年間は、再発リスクがあるので定期的に病院に通う必要があるとお医者さんには説明された。早く子供を産まなくちゃと思った。

 

5年経つ前にわたしは結婚した。ダッシュで子供を産まなくちゃ。会社の産休・育児制度、不妊治療、保活、etc...今後、妊娠・出産に伴って必要となるであろう対応について、調べまくって本も読みあさった。情報を詰め込むだけ詰め込んだら頭の中でそれらが整理されて、自分が何をするべきか、だいたい2,3日でプランが自然に現れてくる。

 

そのとき出てきたのはプランではなくて、お医者さんへの返事だった。

「わたしは子供なんか産みたくない。勝手にわたしの人生を決めないで」

わたしがあのとき泣いたのは、どんな状態になっても女は子供を産むことを求められ続けると感じて辛かったからだ。お医者さんは優しい人だった。患者思いのとってもいい先生だった。わたしを安心させるための一言だったことは良く分かっている。

 

だからよけいに辛かった。こんなことで辛いって思ってしまう自分がおかしいんだと自分を激しく責めた。今でこそこうやって言語化できるけど、あのときはなにが辛いのかなぜこんなに自分が嫌でたまらないのか全くわからなかった。

 

子供を産まない女は不幸なのか

女性=産む性ではない。その等式が成り立つのは体の機能だけの話だ。女性全員に母性がビルドインされていて、自然に子供を欲しがるようになるのではない。それは社会通念による刷り込みだ。OSレベルで刷り込まれているから、ずっと自分の自然発生的な欲望として捉えていた。

 

でもそれは間違いだった。

わたしは子供なんか産みたくない。

子供が嫌いなわけじゃない。単純に今後20年にわたって自分が持つ時間と体力というリソースを子供に注ぎ続ける気になれないだけだ。自分の人生をいつでも自分の自由意志で選びたいだけだ。

 

ずっとわたしは世間的な「幸せのテンプレート」を手に入れるためにがんばってきた。女でもちゃんと大学出て、就職してある程度の年収を稼いで、色んな経験を積んで、結婚して子供を産んで、仕事しながらもキャリアウーマンとして働き続けないと。子供を持つことは「幸せのテンプレート」を完成させる最後のパズルのピースのようなものだった。

 

でも立ち止まった考えたとき、「幸せのテンプレート」はわたしにとって実はどうでもよかったことに気付いた。上場企業に就職しても、年収があがっても、ヴィトンのバックを買っても、海外旅行に行っても、結婚しても幸せになれなかった。べつに不幸なわけじゃない。

 

でも「幸せのテンプレート」を手に入れる前のわたしも、手に入れたあとのわたしも地続きで、何も変わらなかった。わたしは自分が学習して成長するのが好きで、成長したかどうかの分かりやすい指標が「幸せのテンプレート」を手に入れられるか否かだったのだ。

 

ずっとずっと「想像上の子供」はわたしを責め続けた。子供を産まないお前は女として不完全な存在だと。子供を産まないなら、自分が愛する両親を、夫を不幸にする迷惑な存在だと。子供を産まないならお前は不幸で惨めな人生を送ることになると。

 

でも、もう怯えることはない。わたしの人生にあなたはいらない。わたしの選択を誰に言い訳する必要もない。自分の意思で行った選択なら、その結果を不幸に感じることはないということを、わたしは知っている。わたしが愛する人たちを不幸にしない方法は、子供を産むことだけではないことも知っている。

 

子供を産まない女として生きていくことを決めた。それから、本を読んでいるとき、コーヒーを飲んでいるとき、街路樹を眺めているとき、「わたしに足りないものはなにもない」という感情がふと浮かんでくる瞬間がある。あえてその感情に名前をつけるなら「自分の人生に対する満足感」と言えるかもしれない。そしてその瞬間わたしは幸せだ。 

 

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