愚痴を言ったり聞いたりするのが嫌になってしまって、ここ数年そういう行為からは距離を置くようにしていました。愚痴を言っても何も解決しないし、ストレスがたまるだけだから無駄な行為だなぁと思って。
でも最近になって、愚痴に対する考え方が変わりました。実は愚痴って、人生に対する希望が形を変えたものなのかもしれないと感じるようになったんです。
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愚痴に対する考え方が変わった理由
なぜ考えが変わったかというと、会社の後輩がある日いきなり退職しちゃったんですよね。会社辞めちゃった子の名前は、切り身ちゃんです。仕事はできるけど、愚痴がすごい子でした。
切り身ちゃんは、少しでも手が空くと愚痴マシンガンと化します。いわく、上司の頭が悪い、会社の制度が古い、同僚の働き方が甘いetc, etc...
おにぎりも最初のうちは、「愚痴にエネルギーを使うより、なにかもっと生産的なことに注力したら?」と遠回しに切り身ちゃんに伝えていました。でも次第に愚痴マシンガンに付き合うのが辛くなり、距離を置くように。
そんな状態が数か月続いて、切り身ちゃんは周囲への不満と愚痴で全身パツンパツンになり、退職してしまいました。
希望があるから愚痴が生まれる
要は切り身ちゃんは理想が高かったんです。その理想が現実化できない理由を、周囲にもとめてしまっていた。だから愚痴がマグマのごとくあふれ出てくる。
振り返ったら、おにぎりも周囲に対して似たような不満は持っていました。でも、会社の文化って簡単に変わらないことを知っていたので、押し殺していたところがありました。
今思えば変えることができないまでも、理想を実現化できないもどかしさを、愚痴という形であれ、切り身ちゃんと共有しておけば良かったなぁと。
なぜなら愚痴は理想や希望があるからこそ生まれてくるものだから。そして愚痴を共有するということは、希望を共有することにもなるんじゃないかと。
今後は、愚痴=悪いものではなくて、希望や理想への架け橋でもあるということを気に留めておこうとココロに誓ったのでした。