友達との遊び・恋人とのデートで、こんなやりとりをしたことはありませんか?
どこ行きたい?
どこでもいいよ。
何食べたい?
何でもいいよ。
もうね。これね。おにぎりビックリしちゃうんですけど。なぜならおにぎりの場合、こうなるから。
どこ行きたい?
渋谷のイメージフォーラムでソクーロフのモレク神が観たい!
何食べたい?
パンケーキ食べたい!グルテンフリーでローカロリーだけど生クリームてんこもりもりの美味しいやつ。スコーンも食べたい!
うーん我ながら、何じゃこのクソサブカルワガママ女はっ!て感じですね(笑)でも、「何でもいい」、「どこでもいい」を続けていると、「何でもない人間」になっちゃうんですよ。
人生とは日々の選択そのものである
複数人で何かを決めようとするとき、「何でもいいよ」、「どこでもいいよ」って言う人って、いい人だと思いますよね。自分のことより、他人の意志を尊重してくれている人だって。
ただ、わたしは「いい人」って感じられないんです。なぜなら、どんな小さな選択でも、それは人生を形作る大切なステップだと思っているからです。
日々の選択の積み重ねが、少しずつ人生の方向を決めていきます。例えば、通勤に1時間かかるサラリーマンが2人いたとして、1人は勉強時間に当てて、1人はスマホでゲームに興じていたとしたら?1年後にどれだけ差が開いているか、簡単に想像できますよね。
自分の意志をもって自分の人生を選べる人、その選択の連続において、周囲と協力したり、プラスの影響を与えられたりする人が、わたしにとっていい人です。「何でもいいよ」っていう人は、わたしに何の影響も与えてくれないので、「どうでもいい人」になってしまう。
選択を放棄すると人生のコントロール権を失う
「自分の意見を言ったら相手に嫌われそうだから、全部相手の要求を呑んでしまう」って女の子から相談を受けたことがあります。えーとね、自分の意見を言ったら嫌ってくる相手は、あなたのことをモノとしてしか見ていません。モノでいたいなら関係を続ければいいし、ヒトでありたいなら見直すべきです。
って言えたらなと思ったけど、言えなくて「あんまり辛いなら、小さいことから自分の意見を伝えてみれば?」ってやんわりアドバイスしたのですが、結局その女の子は彼氏と別れました。「君といると疲れる」って言われたそうです。
さんざん合わせてやったのに疲れるってなんなの?!って彼女は激怒していました。いや、そりゃ相手は疲れるよね。選択する責任を全部相手に負わせてるんだものって言えたらなと思いましたが言いませんでした。
そして、彼女は「また同じことの繰り返しになるから」と恋愛から遠ざかって早数年。仕事もプライベートも全く変化がなくてつまらないと、よく愚痴っています。
自分で行動を起こすことなく、誰かが自分の人生をドラスティックに変えてくれることを夢見ている様子です。選択を放棄し続けた結果、人生のコントロール権を失ってしまったように見えました。
いいじゃないですか、他人と意見が違っても。言うのはタダなんだし。異なる意見を知ることで、一段高い景色が見えてくることもあるし。何より楽しいです! 人生楽しみたかったら、とりあえず「何でもいい」をやめることだと思います。