みなさんこんにちは、突然ですが「歳の取り方」について考えたことってありますか?当たり前ですが、生きていれば1年ごとに1歳年齢が増えますよね。でも歳を取るというのは、単純に年齢を重ねるだけの事でしょうか?
なぜわたしが歳の取り方について考える気になったかと言うと、先日、駅のホームで60代前半くらいのおばあさんにぶつかられた挙句、「邪魔くさいんだよボケ!」って怒鳴られたからです。びっくり!まあ、スルースキルを発動して、その場は事なきを得ました。
「こういう歳の取り方はしたくないな」と思ったので、じゃあ、自分はこれからどうやって歳を取っていこうかと改めて考えてみました。
歳を取るとはどういうことだったのか
そもそも歳寄りに暴言をはかれて、わたしがビックリしたのは、「歳をとる」=「人間ができている」という固定観念があったからです。「老人は敬うべき存在」という文化ですね。
あれは、たくさん歳を取っている人はたくさん知恵を持っている。知恵を持っている存在は、コミュニティにとって有益だから大切にしようってところから「老人は敬うべき存在」という文化が生まれたんですね。
医学がここまで進歩する以前は、病気で死ぬ人が多かったので、「歳寄り」ってだけでレアキャラだったんですよね。「この歳までサバイブできたということは、何か特殊能力を持っているはずだ」的な。
歳を取ることの価値の価値が下がった
さて、現代では平均寿命が延びに延び、「歳寄り」ってだけではレアキャラになれなくなりました。そして「歳寄り」が「若者」より多く持っている、ストックとしての「知識」と「経験」の価値が落ちてしまいました。
デジタル文化の発達で、だれもが「知識」には簡単にアクセスできる時代になりました。もはや「知っている」はアドバンテージになりません。だってググれば情報を手に入れられるのですからね。「知識」については、ストックよりフローが重要な世の中なのです。
「経験」についても同様です。デジタルテクノロジーがものすごい勢いでビジネス環境を、われわれを取り巻く生活環境を変えていきます。変化し続ける環境下で、一度経験したことが、いつまでも有効とは限りません。簡単にいうと、「経験」の賞味期限が短くなってしまったのです。
そして、最後に「資産」というストックですが、日本経済が右肩上がりの成長を続けていた時代には、年齢が上がれば給料も上がりました。金利が高いので、銀行にお金を預けているだけで、お金が増えていきました。
いまや年功序列の崩壊と日本経済の沈没が進みつつあるので、年齢を重ねれば自動的に「資産」というストックが増えるということはありません。
歳をとれば自動的に「知識」・「経験」・「資産」のストックが自然に増えるという構図が完全に崩れたのです。
正しく歳を取ることとは?
さて、現代では年を取るだけで何かが積みあがるということは無いことが分かりました。これからは個々人が年の取り方を考えていかなければ、自分の中に残るものが無い時代です。それは誰にも教えてもらえません。
「こういう年の取り方がしたいなぁ」って感じる相手も、人それぞれだと思います。わたしが「こういう年の取り方がしたいなぁ」って感じる相手は↓↓↓のような特性を持った人です。
- つねに新しいことにチャレンジする意欲がある
- 自分が知らないことは素直に学ぶ姿勢がある
- 誰に対しても敬意を持って接する
- 孤独でもさみしさを感じない
一言で表すと、変化への適用力があって、人付き合いも上手いけど、自分以外の人間にに依存しすぎることが無い人です。
年を取ったときの状態ではなくて、マインドセットに焦点を置いているのは、自分以外のものが自分を幸せにしてくれることはないと感じているからです。
家・家族・地位etc 欲しいものはたくさんあります。でも手に入れた途端にどうでも良くなるんですよね。結局、自分の内面は何も変化しないんです。自分以外のものはすべて単なるマイルストンなので、目指すゴールにはなりません。
わたしは、自分のマインドを自分でコントロールできて、なおかつ周囲に良い影響を与えられるような歳の取り方がしたいと思います。
さて、あなたはどんな年の取り方をしたいですか?